山の周辺には、昔むかしに作られたと思う石の鳥居が、市街地に点在している。
寺院があったといわれるが、登り口が沢山あったようだ。
どんな寺院があったのか痕跡もない。
ただ、年寄達からの言い伝えがある。
みだれた僧侶たちを見て閉山になった・・・
寺院は山のふもとに移転した・・・・・・と
残されたのは「三百坊」という言葉
そして、西行法師が植樹したといわれる「桜の木」
(今は枯れて・・古木が・・・牧場に残っている)
中腹の雪が見えるところが西蔵王牧場で、そこに、西行法師植えた桜木が
又、周辺に三百もの宿坊があり、様々な店もあり人々でにぎわっていたとの事。
牧場を整備するときに、出土品があり古銭も見つかっている。
瀧山を山頂まで登りきると、そこには蔵王温泉が広がっている。
山頂に瀧山神社が今も残っている。
その地の周辺にこそ、悲劇の寺院集落があっただろうと
私は想定している。
なぜ、だれが、何の理由で・・・・
昔の事は 仕方がない事だとしても・・・汚名だけは取り除いてあげたい・・・