瀧山物語

埋もれた歴史を発掘することは未来に起こるかもしれない危険を回避する事にならないだろうか?

瀧山物語(奥州征伐の戦禍に消えた医僧達?)

地元の昔語りから聞こえるのは鎌倉幕府北条時頼が悪いことをしている寺と僧を閉山したという言葉だが・・・・

若くして病死した北条時頼が長旅をして出来る事ではないとしたら、いつ、瀧山寺は無くなったのだろうか?

 

■1189年7月~9月に「奥羽征伐」があった。

 

1189年4月30日、源義経が平泉の衣川で藤原泰衡の手にかかり自害した。その首を鎌倉幕府に送ったが、鎌倉幕府奥州藤原氏を討伐するとの兵を送り「奥州征伐」が始まった。

1189年7月~8月、戦場は 飯坂→国見→白石→蔵王町宮城県)四方峠。

27万騎の鎌倉軍と迎え撃つ奥州藤原軍17万騎の大きな戦いがあった。

藤原国衡は笹谷峠を越えて出羽(山形)に逃れようとしたところを柴田郡高山神社付近(大河原町)で打たれたと地元の記録にある。

       

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奥州合戦」激戦地

その時、瀧山も焼き打ちにあってしまったのではないだろうか?

 

軍兵が寺院を焼き打ちすることは、当時、稀な事ではなかった。

奈良の東大寺平清盛の兵により焼き打ちに合っている。