長い歴史の中で、疫病(天然痘・らい病・ウイルス・感染症)との苦しい戦いを繰り返してきた。
奈良時代や平安時代は天然痘やらい病などの皮膚病が蔓延し感染者が貴族から平民まで身分に関係なく広がっていたと思われる。
医師の役割は僧達が担い、薬草や温泉治療など自然界にあるものを用いて効能を試行していたと思われる。
しかし、増え続ける感染者に国家として・・・
瀧山寺以外にも「悪僧」と言い伝えられている寺社がある。
岩手県一関にある「室根山神社」にその痕跡があった。
※室根山神社
美しい円錐形の山の山頂付近には昔々、寺があった。
その寺の僧達は行き所をなくした疫病患者(天然痘・らい病)を支援し
寺の傍に宿舎を建て、数十人を看病しながら生活をさせていた。
今は神社となって、静かにたたずんでいる。
訪れる参拝者の姿もまばらで地域の人々に大切に祀られている。
石造りの大黒様が確認できるだろうか? 大黒様を日本に持ち込んだのは密教で、空海(真言宗)と思われる。とすれば、貧民や病人を救済し土木工事を行った「行基」の思想を継承していたのではないだろうか。そして「天台宗」だったと言い伝えがあるとすれば、瀧山寺と同じ「寺門派」の天台宗と思われる。
この積み上げた石が仏教文化の名残なのだろうか?
ある日、何者かに疫病を患っている者も医僧たちも全員惨殺されて・・
瀧山寺と同様に
「性悪の悪僧が住んでいたので退治した」との作話を言い伝えとされてしまっている。
もうひとつの悪僧伝説・・・
※松島湾
遊覧船に乗ると観光案内のアナウンスが船内に流れる。
やさしく美しい声で案内されるがその中に
「悪僧達が用いた書物を燃やした島」との意味のアナウンスが流れる。
圓城寺(えんじょうじ)通称 三井寺 ↓
宮城県松島寺⇒山門派
比叡山(ひえいざん)↓
平安時代 比叡山(最澄・円仁)と 園城寺(空海・最澄・円珍)は
対立していた。
対立の原因は権力抗争
比叡山は現代の 国立大学のようなもの。 天台宗の総本山・・・ 比叡山
園城寺は現代の 私立大学のようなもの。 天台宗寺門派の総本山・・滋賀
<私立大学を国立大学にしたい>
<そうはさせたくない>
1035年3月7日:園城寺三尾明神の祭りに
延暦寺僧徒が乱入
1035年3月29日:園城寺僧徒が延暦寺明尊の山上坊舎を焼く
1038年10月27日:延暦寺僧徒は明尊が天台座主になるのに
反対し入京奏上を出す。
1039年3月16日:延暦寺僧徒が高陽院に放火する。
(高陽院・・桓武天皇の皇子邸)
延暦寺が反対
(戒壇設立・・国立大卒業証書発行)
1042年3月10日:延暦寺僧徒が円城寺円満院を焼く。
1048年8月11日:明尊を天台座主とする。延暦寺僧徒拒む。
1079年6月2日 :延暦寺僧徒1000人余り、八坂神社に強訴
1081年4月28日: 延暦寺僧徒、園城寺を襲い建物を焼く。
1081年9月14日:園城寺・延暦寺の僧徒、園城寺にて争い逮捕される。
源義綱が神人を射殺。
1100年6月8日:園城寺僧徒、同寺長史隆明の坊舎を焼く 。
1101年12月3日:延暦寺僧徒が闘争。
1102年5月7日:延暦寺僧徒が法成寺長史を強訴。
1106年9月30日:延暦寺僧徒が藤原信長(故人)宅に行き乱行。
1108年4月1日:源平2氏に延暦寺・園城寺の入京を防護させる。
1111年11月16日:延暦寺の僧逮捕される。
1112年3月13日:延暦寺僧徒、八坂神社に行き強訴。
1114年7月6日:延暦寺山頂で兵仗を帯びる。(山頂で武装)
1121年5月27日:園城寺の僧徒が延暦寺の修学僧を殺した為、
延暦寺僧徒房舎を焼く。
1133年7月21日:延暦寺西塔の学徒と中堂の僧が争う。
1138年4月29日:延暦寺の僧徒が神輿を担いで京に乱入。
1150年9月16日:山徒の争闘を禁じる。
1160年10月12日:延暦寺僧徒、神輿を担いで入京し強訴。
1169年12月23日:延暦寺僧徒が神輿を担いで権中納言を訴える。
1177年4月13日:延暦寺僧徒が日吉神社と白山神社の神輿を担いで訴える。
1178年9月20日:延暦寺堂衆、群盗を集めて学徒と戦う。
1178年10月4日:法皇が平清盛に命じ延暦寺の学徒をたすけ
堂衆をを打たせる。
(堂衆・・・下っ端の僧)
1179年7月25日:延暦寺の同衆を討たせる。
1180年12月11日:延暦寺・園城寺が源氏についているので平氏これを討つ。
まだまだ続き、
1330年6月22日 延暦寺僧徒建議し、一向宗徒の放逐と禁圧を要請。
現代でも、
国会のうんざりするような派閥争いや不正行為、
世界規模の権力者たちのあくなき欲望、
刀を持ったり放火はしないけれど、
もっと陰湿で悪質な金と欲の世界が
今も存在しているように感じられる。
僧侶が武装するのはこの関係者だけで、
他の僧は人々を救済する使命に
心を熱くしていたと思われる。
この対立の余波で、「瀧山寺」と「室根神社」と「松島」
が悪僧と呼ばれる不運に見舞われたわけではないと思われる。
何故なら、
自分たちの争いで精一杯と 感じられるが・・・
陰であおり、仕組んでいる者がいたとしてら・・・
その勢力こそ、注視しなければならないと思うのだが・・・
後篇に続く